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金属技術史

木目金の作り方

1.2 木目金はいつ頃から?

「木目金の歴史」につきましては、各所に記述されております。下記の記述が分かり易いので、その解説記事を転載します。
 秋田県公式WEBサイト、地域の文化遺産発見事業報告書
 お宝発見ハンドブック---工芸技術編---

 銀、素銅、赤銅、黒味銅等の異なる色合いの金属板を鍛接加工し、杢目文様、マーブル文様等を作り出す金属技法であり、世界的にも他に類を見ない。江戸時代以前には作例がなく、江戸時代秋田世阿弥伝兵衛(1651〜1727)が考案したとされる。世阿弥伝兵衛は、羽州庄内の生まれ、本名は鈴木重吉といい、18歳の時、江戸に出て、世阿弥某の弟子となる。4年の修行の後、世阿弥の姓を許され、延宝元年(1673)秋田藩主舟尾氏に仕えて秋田に移る。同3年(1675)藩主佐竹義処公に抱えられ、以後享保8年(1723)まで鍔師として活躍する。伝兵衛の作とされる杢目銅の作品には、「倶利(具利・屈輪)彫」の鍔と、タガヤサン地(鉄羽木に由来)の「金銀赤銅素銅鍛金」がある。倶利彫は、素銅、赤銅など数種の金属板を交互に数十枚重ね、鍛接した地金に唐草文や渦文を鏨で彫りさげたもので、掘り下げ部に杢目文様が表れる。中国宋代に始まる漆芸技法に学んだとも伝わる。「金銀赤銅素銅鍛金」は霞打ちとも呼ばれ、先述の地金に鏨により凹文を削りだし、鎚で打ち出すことのより平滑な板金に杢目文様を創り出す鍛金技法と彫金技法と合わせた技法といえよう。秋田県指定文化材に「小柄1本 金銀地杢目鍛名世阿弥伝兵衛」(昭和38年2月5日指定)がある。

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世阿弥伝兵衛作 小柄 

 長年途絶えていた技法であったが、明治以後「後藤鐵治」(1894〜1983、秋田市、雅号玉明)の多大な努力により復元された。また、明治29年(1896)に設立された秋田市立工業徒弟学校は、金属工芸の振興と技術向上に大きな役割を果たした。「細川忠亮」始め充実した教授陣は、優秀な工人を育てるととともに、国内外へと杢目銅作品の発表を奨励している。他にも、「田中龍山」、「根田権之助」、「近間永助」、「碇谷喜蔵」が作品を残している、しかし、彼らもまた、技術の継承保存について何の手を打たなかった。大正、昭和と時は移り、途切れかけた貴重な技は、現在、「根田雄一郎」、「林美光」、「千貝弘」の三氏が継承し、美術工芸品、茶道具、花器、アクセサリー等の制作活動を行っている。

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