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金属技術史

1.2 拡散接合はいつから

 1958年にオートクレーブ(高温で静水圧印加装置)を使って原子力部品を組立接合した論文で、「Diffusion welding」の用語が使用されており、これが最初かと思います。日本の溶接学会誌の掲載論文を見てみますと、1967年に「拡散接合」と題しての解説記事(本文献の16が、「拡散接合」を最初に使用した論文)があり、非常に分かり易く、現在も十分参考になります。それ以前は「圧接」の用語が使用され、1970年代からは「固相接合」、「拡散溶接」、「拡散接合」が混在しています。1990年代以降は「拡散接合」の使用が多くなっています。従って、文献調査、特許検索の際には、上記の用語で調査する必要があります。JISの「溶接用語」におきましても、当初「・・・・・原子の拡散を利用して接合する方法。拡散溶接ともいう。」と記載されていました。最新の「JISZ 3001-2 溶接用語」では、「拡散溶接ともいう。」は削除されています。
 拡散接合は、金属を溶融することなく加圧して接合する方法です。日本刀は「鍛接」で製作されます。これは木炭中の還元雰囲気中で加熱し、鉄を叩いて製作しています。日本刀の製作時に、大きな変形を与えていなければ「拡散接合」といえるかも知れません。このような「鍛接」の手法で見てみますと、このような「鍛接」の手法でみてみますと、歴史的には「ツタンカーメンの黄金のマスク」(BC1335年)が最も古い「拡散接合の適用例」かも知れません。しかし、このマスクのどこが鍛接したかはっきりせず、「リベット組立」と記載された文献もおおくあります。紀元前1000〜500年に製作された金製の箱は、端部にはかしめて塑性変形させた痕跡が、はっきり見られます。鍛接的手法で組み立てられています。銅酸化物(ろう材)を使って金合金をろう接して組み立てた装身具が、紀元前1900年頃にメソポタミヤで、発見されています。金合金の加工の過程で、「ろう接」、「鍛接」等の加工が発達したと考えられます。

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金製の箱(National Museum of Ireland)


 日本では、奈良の大仏は、日本産の金属と加工技術で製作されております。その完成(AC752年)以前は、金、銅などの金属は朝鮮半島から輸入していました。金属は非常に高価でしたから、銅の上に金メッキして装飾品が製作されています。金メッキが困難な鉄の装飾品では、鉄の上に銅を接合して金メッキされています。下記は、薄い金箔を積層接合して製作された耳飾り(製作6世紀後半)の電子顕微鏡写真です。

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何層ももなった金製の耳飾りに断面
(岩波新書、村上隆著、金・銀・銅の日本史、41頁)

 この時代は、木炭でせいぜい最高加熱温度は1000℃が良いところですから、金属を溶かす事は出来ません。木炭で加熱して金属を加工していました。現在は、金属の表面を高精度に加工して①平坦加工し、また②接合面の清浄化と③接合雰囲気の制御で、接合体に大きな変形を与えることなく接合が出来るようになっています。拡散接合の技術は2000年にも及ぶ、古くて新しい技術と言えるでしょう。

 

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