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金属技術史

別子銅山と近代化産業遺産の見学

 アジア鋳造技術史学会のエクスカーションで、「別子銅山関係遺跡の見学会」に参加しました。愛媛県新居浜市には、別子銅山の関連産業遺産が数多く残っています。
 別子銅山は、元禄4年(1691年)に開坑し、昭和48年(1973年)に閉山まで、283年間に65万トンの銅を産出。銅山から派生した産業が、住友金属、住友化学など瀬戸内工業地帯の中核を担っています。
 江戸時代の別子銅山は、ここで産出し鉱石から精錬して荒銅を生産、これを大阪の銅吹き所で、銀等の金属分離して、精銅(棹銅)をつくり、長崎から世界へ輸出されました。江戸時代には、日本での銅の生産量は、世界の1/3にも達していたようです。

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世界へ輸出された棹銅


 明治以降、広瀬宰平が中心となり、銅鉱山の近代化を進め、「立坑と巻き上げ機」、「洋式製錬所」、「運搬車道・鉄道の建設」を進めました。現在、坑道、煉瓦煙突、鉱山鉄道や発電所が残っています。
 旧広瀬邸は、「別子銅山を支えた実業家の先駆的な近代和風住宅」として、国の重要文化財として、指定されています。ここからは、新居浜市の埋め立て地に建設した工場群、反対方向には、別子銅山の山々が望む事が出来ます。

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旧広瀬邸から新居浜

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東平に残る選鉱場跡 

鉱石が山岳鉱山鉄道で、東平(とうなる)へ。東平は物資輸送の中継所で、採鉱本部の他、選鉱場、社宅・学校などもありました。選鉱場は、朽ち果てて、煉瓦つくりの土台のみが残っていました。東平(とうなる)を鉱山鉄道で下ると端出場(はでば)へ。端出場は山岳鉱山鉄道(現在は、この鉱山鉄道はありません)の終点。端出場には水力発電所が建設され、この電力で鉱山に電気が供給されました。また、ここには、48年の閉山まで採鉱の拠点であった、第4通洞があります。
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今も残る第四通銅

 別子銅山の発展とともに、公害問題の発生とその対策として、硫酸製造会社、肥料会社、そして、現在の住友化学。常に、新しい挑戦がこの発展を支えて来た事を感じました。

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