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七宝焼きを訪ねて七宝焼が盛んなことから、それが町名なっている「七宝町」をたずねました。名鉄の「七宝」駅から、徒歩で20分のところに「七宝焼きアートビィレッジ」があります。七宝焼を見て、触れて、作る体験も出来ます。 七宝焼きアートビィレッジ 1. 七宝焼きとはほうろう(琺瑯)と同じく金属にガラスを焼き付けて作成されます。「七宝」とは、仏典中に現れる七つの珍宝を意味しています。七宝焼きは、美術・工芸品の要素が高いです。一方、琺瑯は大量生産の工業製品に多く、琺瑯鍋、琺瑯の台所流し台、湯槽などに使用されます(専用の鋼材が開発されています)。七宝焼きも、琺瑯も、英語では「enamel」と表現されています。 2. 七宝焼きの起源は起源は古代エジプトとされ、シルクロードを経て日本へ。日本最古の七宝焼きは牽牛子塚古墳(7世紀築造)から出土した七宝亀甲型座金具。引き続いて、正倉院(756年聖武天皇の品を献上・保管)の「黄金瑠璃鈿背十二稜鏡」は、銀製の宝飾鏡で背面が七宝焼きです。これは正倉院唯一の七宝製品で、これを詳細に観察して、復元しその過程の記載した報告書に七宝焼の作成手順も記載されています。その後、日本国内で製作された七宝は、江戸時代までほとんど見られないようです。 3. 近代七宝の始まりは尾張藩士の梶常吉(1803〜1883)は、オランダ人がもたらした七宝製品を独力で研究して、製作に成功した事に始まります。その技術を遠島村(現在の七宝町)の小林庄五郎(1835〜1896)に伝授され、同村で発展し、現代日本の七宝の源となりました。パリ国際万博博覧会(1878年、明治11年)に七宝焼が出展され、好評を得ています。明治初期輸出産業に一つとして発展し、最盛期は日露戦争ごろのようです。七宝町の遠島八幡神社には、「七宝焼起源碑」があり、製造業者と販売業者が一体となり、七宝焼の発展をたたえた碑です。その後衰退の一途をようです。 七宝焼起源碑
七宝焼きの素地に使用される金属は、電気銅(タフピッチ銅)、丹銅(亜鉛が4〜12%含む銅合金)、銀である。七宝焼の釉薬は、ケイ石、鉛丹、硝石からなる主原料に着色材が添加されます。釉薬の熱膨張係数は、9.5〜11.5x10−6/℃で、金属のそれと異なる。従って、熱膨張係数の差に起因した変形が発生し易い。それを避けるため、金属の両面に釉薬が塗布されます。七宝焼の製品は衝撃で、焼き付けたガラスが剥離し易い欠点があります。
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