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森吉ダムと尾去沢鉱山を見学

 秋田県北部の奥森吉地区は、世界自然遺産「白神山地」が近いこともあり、手つかずの大自然が多く残っております。奥森吉地区内を小又川が流れますが、この水系は阿仁川、そして米代川に合流して能代で日本海に注いでおります。小又川は県内有数の急峻な山岳地帯です。そのため小又川の「氾濫防止と発電」を目的に森吉ダムが計画され、昭和28年10月完成しました。「森吉ダム」は三菱マテリアル株式会社(当時 太平鉱業株式会社)と秋田県との共同事業として建設されました。ここで発電された電力は、尾去沢鉱山(当時 太平鉱業株式会社)へ供給されました。
 森吉ダムの完成によって周囲30kmの人造湖ができ、この人造湖に大小13の渓流が注ぎ、渓谷・渓流を楽しむことができます。特に、小又峡は、森吉山の原生林を源とした大小100あまりの瀑布や深渕からなる手つかずの原生峡で、県の天然記念物に指定されています。遊覧船30分で小又峡船着き場に到着。遊歩道が整備され、数々の滝、渕、淵を楽しんで遊歩道の最後に高さ20mの「三階滝」を楽しむことができます。今盛りの紅葉と滝の水量が多いことから迫力満点で、その水しぶきの中の逆光の日差しが印象的でした。

 日本近代化の一翼を担った「尾去沢鉱山」の銅の精錬のための電力供給のために建設された森吉ダム人造湖(太平湖)、ここで素晴らしい渓谷美を堪能することができました。

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森吉ダム人造湖(太平湖)の紅葉

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小又峡の「三階滝」


尾去沢鉱山

 1200年の歴史を誇った日本最大級の尾去沢鉱山。現在は、近代化産業遺産に認定され、鹿角市街地から車で、約10分の所にマインランド尾去沢として整備されています。
 全長1.7kmの観光坑道では、「江戸時代の金の採掘をしている様子から、昭和時代の機械による採掘にいたるまでの鉱山の歴史」を学ぶことができます。鹿角市鉱山歴史館では、尾去沢鉱山の歴史や貴重な鉱石類なども見学できました。
 尾去沢鉱山は歴史があり、平安後期には中尊寺金色堂の建設にここの産金が使用されたとのこと。明治22年(1989年)には、盛岡南部氏の所領から岩崎家が引き継ぎ、明治26年(1893年)三菱合資会社の経営。各所に水力発電所を建設し電化をはかり、昭和18年(1943年)には最高の銅の生産量を記録。戦後は財閥解体で、太平鉱業、三菱金属鉱業、尾去沢鉱山と社名を変え、昭和53年(1978)には、銅の価格の低迷と、銅鉱石の枯渇で閉山となっています。
 坑内で採掘・運搬されてきた鉱石が、鉱石分と岩石分に分離される「選鉱場のコンクリートの建物」が廃墟と化し、最盛期には5000名が働いた「尾去沢鉱山」の面影を感じ取ることはできません。「産業構造の変化の厳しさ」を痛感させられます。

 しかし、ここの銅精錬のために建設された森吉ダムとその一帯の素晴らしい自然景観は、今も後世に受け継がれておりました。

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廃墟と化した尾去沢鉱山の選鉱場

 

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