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金属技術史

昔の鉄を追って

 最近、発電所の建設に伴い発掘された製鉄炉の展示があるとのことで「南相馬市博物館」見学しました。
 何気なく現在我々が使用している鉄は、江戸時代には中国山地で80%を生産し、この地域に生産は限定されていたようです。それ以前の、古代から中世にかけての製鉄は、東北地方北部から九州地方南部まで広がる範囲で行われ、遺跡が見つかっています。
 日本で製鉄炉が確認されるようになるのは、古墳時代後期(6世紀後半)からで、本格的に鉄作りが始まったようです。古墳時代後期の遺跡は吉備地域(現在の岡山県と広島県東部)で確認されています。鉄は文明の発展に大きな影響を及ぼし、当初はその製品は武器として、権威の象徴として使用されました。
 古墳時代末期から、律令を整備して国内を整備が進み、全国に役所(官衙)や寺院が作られました。こうした建物を造るのに鉄の工具や釘など、大量の鉄が必要となったとなり、広く国内で鉄が生産されるようになり、その製鉄所跡が各所で発見されています。

 7世紀後半から10世紀初頭まで鉄を生産していた遺跡が、南相馬市原町区にあります。この金沢遺跡群は、東北電力の原町火力発電所の建設に伴う発掘調査で発見されました。製鉄炉123基、木炭窯149基などが発見され、古代の日本で最も大規模な製鉄遺跡群です。当時、製鉄炉には縦形と箱形があり、本遺跡から発掘された縦形製鉄炉が展示されていました。実際、砂鉄と木炭を満たした炉の中に「ふいご」で風を送って精錬する様子がよくわかる展示でした。(2011.1.10)

iron

ふいごで送風して、縦形製鉄炉での鉄を作る様子

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