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金属技術史

和銅遺跡 見学

 西暦708年武蔵国秩父郡(現在、秩父市黒谷)から自然銅が発見され、これを喜んだ朝廷は年号を「和銅」と改元し、日本最初の流通貨幣「和同開珎」を発行しました。昔、歴史の教科書で学んだ記憶がある「和銅遺跡」を見学しました。
 ここで銅が発見されるまでは、金、銀、銅は朝鮮からの輸入であったらしい。これを契機に、国内で銅鉱山が次々に発見され、これら金属が国産されております。国産の金属を使用して奈良の大仏が、752年に完成しております。
 銅分を約2% 以上含む岩石を銅の鉱石として採掘されます。鉱石には、赤銅鉱(酸化銅)、輝銅鉱(硫化銅)などがあります。「和銅」とは、その昔「にぎあかがね」と呼ばれ、精錬を要しない自然銅で、銅品位は100%です。そのまま十分延性と展性を持っています。

 この自然銅を露天掘りした二条の跡が現在も残っております。奈良時代の人々が歓喜して、生産した銅の生産の現場は、現在は秩父鉄道の黒谷駅から1km足らずの箇所にあります。うっそうと茂った雑木林の中に埋もれるようにありました。露天掘り跡の遺跡のすぐそばに「和同開珎」のコンクリート製のモニュメントが、1258年前の出来事を静かに伝えておりました。(2010.9.20)

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「和同開珎」のコンクリート製のモニュメント

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