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墨田川に架かる橋(重要文化財を訪ねて)

 隅田川は、東京都北区の新岩淵水門で荒川から分岐し、東京湾に注ぐ全長23.5km の河川です。 江戸時代には、町は大きく発展しましたが、隅田川に架かる「千住大橋」を除いて、幕府は防備上の関係で架橋を制限しました。このため、隅田川を渡るのに多くの「渡し」が誕生しました。最盛期では20以上の「渡し」がありましたが、1966年(昭和41)「汐入の渡し」を最後に無くなりました。
 今回、浅草界隈から下流方向へ、隅田川沿いに整備されている遊歩道を勝鬨橋まで歩きながら、東京の近代化を支えてきた橋梁を観察しました。この遊歩道は、隅田川の高潮対策事業として、切り立ったコンクリート製堤防の内側に、公園や花壇などの整備で緑地化し整備されており、格好の散歩道となっています。しかし、遊歩道は途中で途切れることも多く、両岸すべて整備されてはいませんでした。
 隅田川に架かる「清洲橋」、「永代橋」、「勝鬨橋」の3橋が、都道府県が管理する橋として初めて、平成19年に国の重要文化財に指定されています。また、国が管理する橋としては、「萬代橋」(ばんだいばし、新潟市)が、平成16年に指定されています。 (2010.1.4と7)

1. 白鬚橋(しらひげばし)、明治通り、1931年(昭和6年)
 橋名は、東岸にある白鬚神社に因む。元は「白鬚のわたし」があったところ。関東大震災(1923年、大正12年)後の復興事業として再建されました。鬚は「あごひげ」を表す漢字が正解とのこと。

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2. 桜橋(さくらばし)、歩道、1985年(昭和60年)
 台東区と墨田区が姉妹提携事業として完成した、隅田川唯一の歩行者専用の橋。上部から橋を見た形状は、X字型をしています。

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3. 言問橋(ことといばし )、国道6号(言問通り)、1928年(昭和3年)
 直線的な美しさが漂う橋である。東京大空襲の際、浅草方面の人が「川の向こうに行けば助かる」と思い、言問橋を渡ろうとしました。反対の岸にいる住民も同じことを考えており、橋の上で身動き出来なくなり、多くの焼死者が発生したことで有名。1992年の改修工事の際、空襲で黒ずんだ縁石等が切り出されて、江戸東京博物館に展示されているとのことです。

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4. 花川戸鉄道橋(はなかわどてつどうきょう)、東武鉄道、1931年(昭和6年) 

 東武が浅草駅まで延長するために隅田川にかけた橋。車窓からの景観を重視した構造で、架線の支柱が曲線的なのが特徴。写真は日光からの特急列車が走行中。アサヒビール本社高層部のレストランから撮影です。

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5. 吾妻橋(あずまばし)、雷門通り、1931年(昭和6年)

 東岸にはアサヒビール本社等が入る墨田リバーサイド地区があります。関東大震災で木製の橋は消失し、現在の橋に架け替えられました。赤い塗装の直線とアーチが美しい。

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6.駒形橋(こまがたばし)、浅草通り、1927年(昭和2年)
 橋名は西端にある駒形堂に由来。駒形の渡しがあったところに、関東大震災後の復興計画で完成。青いアーチとリベット構造が印象的でもあります。

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7.厩橋(うまやばし)、春日通り、1929年(昭和4年)
 蔵前の厩があったことに因む。橋全体馬を連想させるレリーフが一杯。

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8.蔵前橋(くらまえばし)、蔵前橋通り,1927年(昭和2年)
 東詰めに国技館があり、橋の欄干には、力士のレリーフが、施されている。黄色塗装で明るく、遊歩道から橋の下をみあげると、リベットで固定された幾何学的に配置された多くの梁が細部まで見え、非常に美しい。

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9.総武線隅田川橋梁、1932年(昭和7年)
 総武線を両国駅からお茶の水駅まで延長するため隅田川に架けられた橋。

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10. 両国橋(りょうごくばし)、国道14号(京葉道路),1932年(昭和7年)
 橋の近くに神田川が隅田川に流れ込む。武蔵と下総の国を結ぶ橋であることから、両国橋と呼ばれます。ガードレール部分には、軍配や花火が描かれ、デザイン的にも趣向が凝らされています。

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11. 首都高速6号向島線

 常磐自動車道、東北自動車道、京葉道路方面から自動車が集中する渋滞の激しい路線。遊歩道を利用する人はあまりいませんが、上部の高速道路の車の走行音が響きます。道路橋脚部などに錆は少なく、定期的に整備がなされているようです。

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12. 新大橋(しんおおはし)、新大橋通り、1976年(昭和51年)
 両国橋に次いで、墨田川に架かる3番目の橋。当時「大橋」と呼ばれた「両国橋」に続く橋として「新大橋」と名付けられました。幾度も建設され、一世代前の橋は明治村に移管されています。当時の橋の外観写真や、歌川広重の「新大橋」をモチーフにした浮世絵のレリーフなどが吊り橋の支柱に飾られていました。橋の東岸には芭蕉記念館や、芭蕉庵の碑がある芭蕉稲荷神社等もあります。
 

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13 清洲橋(きよすばし)、清洲橋通り、1928年(昭和3年)
 関東大震災の復興事業として、永代橋とともに計画されました。いまはないドイツケルンの橋をモデルとした吊り橋で、優美な橋です。材料学的にも当時最も強度が高い低マンガン鋼を使用しています。もともと「中州の渡し」があったところです。

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14 隅田川大橋(すみだがわおおはし)、水天宮通り・首都高速9号深川線、1979年(昭和54年)
 隅田川唯一の二層式で、下段の隅田川大橋の完成後に、上部の首都高速9号深川線の橋が完成しております。機能性重視で、景観的に好ましくないとの意見もあるようです。

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15. 永代橋(えいたいばし)、永代通り、1926年(大正15年)
 震災復興事業として、建設当初、東京を代表する隅田川に架かる第1の橋梁であったため「帝都の門」と呼ばれました。ライン川のルーデンドルフ鉄道橋をモデルしており、日本最初の径間長さ100mを超すタイドアーチ橋で、重量感を感じさせる風貌です。

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16.中央大橋(ちゅうおうおおはし)、八重州通り、1994年(平成6年)
 吊り橋の主塔は日本の「兜」を意識した形状で、橋城の道路面がカーブしています。高層ビル群の中にあり、「中央大橋」の名に恥じない景観です。

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17. 相生橋(あいおいばし)、清洲通り、2000年(平成12年)

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18. 佃大橋(つくだおおはし)、新富晴海線、1964年(昭和39年)
 隅田川最後の「佃の渡し」の位置に建設された戦後最初の隅田川の架橋で、東京オリンピック開催に備えた関連道路の一部でした。

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19. 勝鬨橋(かちどきばし)、晴海通り、 1940年(昭和15年)

 海運と陸運の両立を図った特殊な構造を持ち、わが国最初の双葉の跳開橋です。建設当初は70秒で開閉し、最盛期には1日で7回、1回当たり20分で開閉していました。しかし、交通量の増加とともに昭和45年を最後に開かずの橋となりました。昭和初期のハイテク可動橋については、橋のたもとにある「かちどき資料館」で紹介しています。

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